JR東海会長の中国警戒論と「のぞみ」と言う列車名
葛西敬之・JR東海会長が、27日付の読売新聞紙上で、いわゆる中国脅威論を展開した、とのJR東海会長、読売新聞で「中国脅威論」を展開 2005/03/27(日) 20:26:19の記事であるが、こうした論自体は決して珍しい … “JR東海会長の中国警戒論と「のぞみ」と言う列車名”の続きを読む
葛西敬之・JR東海会長が、27日付の読売新聞紙上で、いわゆる中国脅威論を展開した、とのJR東海会長、読売新聞で「中国脅威論」を展開 2005/03/27(日) 20:26:19の記事であるが、こうした論自体は決して珍しい … “JR東海会長の中国警戒論と「のぞみ」と言う列車名”の続きを読む
2月9日の朝、JR CYBER STATIONで寝台特急「さくら」の空き状況を見ていたら、廃止寸前だけあって休日・休前日や最終日の2月28日などは軒並み×印だった。3月1日のダイヤ改正で廃止になる列車の中ではいちばん有名 … “乗車報告(2005年2回目)”の続きを読む
回想録となるとどうしても国鉄車両が多くなってしまう。このキハ40は国鉄末期の1977年に登場。それまでローカル線で働いていた一般形気動車の置き換え用として大量に製造された。本線で急行として運用することも可能なくらい重装備 … “記憶に残る車両:キハ40″の続きを読む
伯備線で181系気動車の話が出れば、それとの対比で電化後に走った381系電車の話になるのは当然だろう。4回連続で国鉄車両の話になってしまうがご容赦を。 この形式の特色と言うと、何と言っても振子機構を装備し、曲線では車体を … “記憶に残る車両:381系電車”の続きを読む
3回連続で国鉄車両の登場である。キハ80系気動車は気動車特急のネットワーク形成に多大な貢献をしたもののその非力さは如何ともし難く、線区によってはキハ58の急行よりも基準運転時分がかかる(遅い)特急、というような妙なことに … “記憶に残る車両:181系気動車”の続きを読む
1968年、北海道の国鉄にもついに電車が走ることになり、まず小樽-滝川間が電化された。翌1969年には電化区間は旭川まで延び、以後普通列車から急行列車にまで大活躍したのがこの711系であった。 711系については北海道の … “記憶に残る車両:711系電車”の続きを読む