十干十二支の効用

先日も話題に致しました十干十二支ですが、単なる迷信の産物だと言って捨ててしまって省みないほうが現代では無難な生き方なのでしょう。しかし、古臭いやり方ですが、干支で年月日時を表現するのには利点が無いわけではありません。

その理由は、十干は五進二進の混合した十進法で、十二支は十二進法なので、これを組み合わせると六十進法になることです。六十というのは約数が非常に多いので、周期的現象の表現には都合が良くなります。 寺田寅彦 自由画稿(「あおぞら文庫」にあります)の六.干支の効用の項に

干支を廃し、おまけに七曜も廃するか、あるいはある人たちの主張するように毎年の同月日を同じ日曜にしてしまうというしかたは、一見合理的なようで実は存外そうでないかもしれない。

机や椅子(いす)の足は何も四本でなくても三本でちゃんと役に立つ、のみならず四本にするとどれか一本は遊んでいて安定位置が不確定になる恐れがあるというのは物理学初歩で教わることである。しかしその合理的な三本足よりも不合理な四本足が最も普通に行なわれているのは何ゆえであろうか。この問題はあまり簡単ではないが、ともかくも四本の一本がまさかのときの用心棒として平時には無用の長物という不名誉の役目を引き受けているのであろう。

数の勘定には十進法の数字だけあればそれでよいというのは、言わば机の三本足を使う流儀であって、これに一見無用な干支を添えるのは用心棒を一本足した四本足を採用する筆法である。むだはむだでも有用なむだであるとも言われる。

十進法というのは言わば単式の数え方であって十干だけを用いると同等である。甲を一、乙を二、丙を三と順々に置き換えてしまえば、たとえば二十三と言う代わりに乙丙と言っても文字がめんどうなだけで理屈は同じである。これに反して干支(かんし)法は言わば複式の数え方で、十進法と十二進法との特殊な結合である。甲子(きのえね)を一とし乙丑(きのとうし)を二とすれば甲戌(きのえいぬ)は十一であり丙子(ひのえね)は十三になる、少しめんどうなだけに、それだけの長所はあるのである。

寺田寅彦「自由画稿」より

とありますが、つまりは無駄の効用といいますか、有用な冗長性といいますか、そのような点に干支の効用があるのでしょう。

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