4月8日〜9日にかけて、吉野山を歩いてきました。新横浜−名古屋間は「スーパーぷらっとこだまグリーン車エコノミープラン」、名古屋−吉野間は「吉野山・蔵王堂拝観券付割引きっぷ」利用でそれぞれ単純往復と、鉄道ファンにあるまじき?行程でした。
今年は桜の開花が遅く、4月9日の時点では下千本が5分、中千本が3分、上千本が咲き始めの状態でした。きっと今日現在は中千本も満開になっていることでしょう。
このように、この時期の吉野山といえば一面に咲き誇るシロヤマザクラなのですが、行ってみた印象はもっと別のものでした。上千本から眼下を見下ろしたときの、谷ではなく峰に人家が並ぶ眺望は特異なものです。普通は山里というのは峰ではなく谷あいの方に人家が出来るものだと思ってきました。しかし、中央から追われた勢力が吉野の兵と地形を頼ってこの地に立て籠もり、失地回復を図ってきた歴史がこの峰の方に人家が並ぶ眺望を作ってきたのでしょうか。
そして、吉野といえば南朝4代の本拠地。後醍醐天皇陵が如意輪寺の裏山にありますが、そこを訪ねる人の多さと、あたかも天皇に拝謁しているかのような所作をする人が少なくないことに、未だに南朝に対して崇敬の念を抱く人が少なくないことを感じます。この陵墓は例外的に北面しており、それは後醍醐天皇の京都奪還への念の強さを表している、とされています。そのためでしょうか、何やら一瞬冷たいものを感じてしまいました。陵墓が木陰に在ることでは説明できない薄ら寒さに、怨念のような気を感じてしまいました。
以上、南北朝の対立はまだ歴史として消化され切っては居ないことを強く感じさせられた吉野行きでした。