つくば市が福島からの転入者に放射能で汚染されていないことの証明書を要求したとされる件で、「差別であるから許されない」とする意見と、「正当な処置である」とする意見の両方を見かける。概して前者が優勢であるようで、後者の意見は非科学的であるとして排斥されているようだ。
だが、仔細に見ると、どうも放射能汚染と言うものに対する捉え方が両者の間で違うようである。福島からの転入者に検査を求めるのは差別であると言う論点に立つ人は、この程度の線量の被曝を受けた人が被曝によって放射化するわけはないのだから、被曝者からの二次汚染は考えられず、検査を求めるのは非科学的と考えている。端的に言うと、「放射線は感染症みたいにはうつらない」という考え方である。
一方、検査を是とする人は、放射能汚染を持ち込まれた放射性物質によるコンタミネーションと考えているようだ。つまり、「放射性物質を持ち込んでくれるな」と言いたいらしい。福島の瓦礫を川崎市で処理するのに反対した人と同じような考え方をしているようだ。
ここで考えてみて欲しい。まず、人体が放射化するような線量を浴びたら恐らく即死であろうから、福島の場合放射化云々を考えるのは明らかにナンセンスである。また、放射性物質の持ち込みにしても、まさか現地の汚染された土壌を俵に詰めてわざわざ持ってくる人が居るわけもなし、多少汚染された泥の付いた靴を履いてきたところで数グラムの土では放射線量としては数千ベクレルも行かないだろう。その程度の線量を気にする人にとって、体重60キログラムの人間は天然のカリウム40や炭素14の寄与だけで6000ベクレル以上の放射線源なのだが、だからといって人間そのものを排除するのだろうか。
そういうわけで、放射線被曝による二次汚染を放射化と捉えても、汚染物質の持ち込みと捉えても、つくば市の処置には合理性はなく、事実各方面より指摘を受けて撤回したと言うことだ。除染処置が必要な人にはすでに全員処置が講じられており、対象区域外にはそういう処置が必要な人が居ない現状では、やはりつくば市の処置は差別との非難を免れ得ない。
一部の市民がそういう処置を要求した結果なのか、担当部局の判断ミスなのか事情は分からないが、旧桜村ではなく旧大穂町でのことらしいので、おそらく後者ではないかと想像しているが、もし市民運動の結果なら憂慮すべき事態と考える。