天中殺に対する説明に抱いた違和感について

いわゆる占術は「命」、「卜」、「相」に分類されるのだそうである(ウィキペディア「占い」による)。「命」に分類される占術で知名度が高いものというと、四柱推命(子平命理/八字)・紫微斗数(紫薇斗数ともいう)・西洋占星術(ホロスコープ)・九星気学・算命学・六星占術(細木数子)・動物占い(四柱推命を簡略化したもの)といったところだと思うが、特に算命学では天中殺というのが重要な位置を占めている。1979年の和泉宗章氏の著書「天中殺入門」がベストセラーになったことを覚えている世代はもうかなり上の世代になってしまっていて、より若い世代には細木数子氏が広めた「大殺界」という表現の方がおなじみかもしれない。

「天中殺」に対する解説でよくあるのが、「十干(甲、乙、丙、……、壬、癸)と十二支(子、丑、寅、……、戌、亥)で十二支の方が二つ余るから余った二つは天の助け(天干)のない状態なので不運が起きやすい。だから新しいことを始めてはいけない。」といった説明である。前述の和泉氏の著書や細木氏に至っては不安教唆と言いたくなるほどの怖い言い方をしているようだ。

これに対するよくある反論が、「(干支番号1~10の)甲子~癸酉(算命学でいう戌亥天中殺)で余ったとされる戌、亥にだってちゃんと甲、乙という干があるじゃないか。天中殺なんか嘘っぱちで意味がない。」というものである。六十干支というシステム自体が十干と十二支が二つづつ余っていくことで10と12の最小公倍数である60で一巡することで成り立っているのだから、干支暦にとって必要不可欠である余り物を天中殺と呼んで邪険にすることには釈然としないものを感じていたから、この言い分にはある意味で正当なものを感じていた。

それからかなり時間がたって、六十干支の循環を示した図表を探していたら、ウィキペディアの「干支」という記事で下図のようなものを見つけた。

図 六十干支の循環

干支の循環が反時計回りなうえ、元がベトナムのウィキペディアから持ってきたもののようなので、ベトナム語が書かれている図表だが、十干十二支が色分けされていて分かりやすい。これを見ていて気付いたのは、「天中殺になっている支は天干がないのではなく、ずれて行っている」という当たり前のことである。この図を反時計回りに見れば、十干が十二支に対して各旬ごとに二つずつ先行して行くことになるし、時計回りに見れば十二支が十干に対してやはり二つずつ先行していくことになる。そして、十干と十二支の対応が最もずれるのは、干支番号31~40の甲午~癸卯、算命学で辰巳天中殺と言われるグループである。表にすると、

干支番号干支十干十二支のずれ天中殺グループ
1~10甲子~癸酉ずれがない戌亥天中殺
11~20甲戌~癸未十干が二つ先行申酉天中殺
21~30甲申~癸巳十干が四つ先行午未天中殺
31~40甲午~癸卯ずれが最大(六つ)辰巳天中殺
41~50甲辰~癸丑十二支が四つ先行寅卯天中殺
51~60甲寅~癸亥十二支が二つ先行子丑天中殺
表 干支番号と十干十二支のずれ

天干(十干)と地支(十二支)が密着していたものがずれて行けば、プレートテクニクス説ではないが、そこに何らかの力が働くと考え、何らかの象意を見出して天中殺という概念ができたのでは、と想像している。しかし、悪いことばかり強調して不安をあおるのはやはり間違っているのでは、と考える。地殻変動のような破壊力はあるのかもしれないが、一方で天中殺は何かの贈り物(ギフト)なのかもしれない。第一、天中殺がなければ回らないのが六十干支というシステムである。繰り返すようだが、天中殺を邪険にして嫌うのは間違っていると思う。

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