ネットサーフィン(死語)中に市民のための環境学ガイド時事編というサイトにたどり着きましたが、なかなかバランスの取れた考察をする良いサイトです。環境問題を扱うサイトの相当数がトンデモ科学な方向に走ったり、非科学的かつ扇動的な物言いに走ったりするのに比べ、冷静な記述には好感が持てます。
その中で、「科学的知識がなぜ伝わらないか」と言う一章にある、
このような理系の難しい知識や、先端知識を知っていることが、この日本という国では逆にカッコウの悪いことだという考え方があるのだ。これが本当の問題だと思う。日本という国は、どうも文系支配の社会で、さらに言えば、「理系の知識の難しいことなど、何も知らない。しかし、俺はものごとを正しく判断できる」、といって自慢ができる国なのだ。
市民のための環境学ガイド時事編 「科学的知識がなぜ伝わらないか」 より
との記述には思わず膝を叩いてしまいました。
私が高校のときに、理系分野に進む気を失った理由が余すところなく説明されています。高校生の頃、私が考えていたこと、それは、
文系のジェネラリストと称する連中は自然科学を理解せず、理系の人間の言うことを相手にしない。日本では理系に進んでも、文系の政治家や官僚連中の作る政策のもと、理系のスペシャリストは冷遇され、報われない一生を送っている。少なくとも、自然科学の何たるかを知らず、自然科学が出来ないことをかえってジェネラリストの証とするような者たちにこき使われるのは間違いなく、そんな一生は嫌だ。
筆者の記憶より
高校生の考えることですから、大げさかつ偏見が入っていることは否定いたしません。
しかし、放射線に対する反応一つとっても、日本では基本的な自然科学の知識が全くといっていいほど普及していないのは確かで、日本人はどうしてこれほどまでに自然科学に疎いのか、と暗澹たる気分にさせられます。
具体的な例としては、東海村臨界事故を例に引くまでもなく、ウラニウムを臨界量までバケツの中に放り込んだらどうなるかは、原発依存度40%の国に住むのなら、本来は小学生でも知っていなければならない常識です。小学生向けの良い本も多い(私がこのことを知ったのは小学校4年生の時でした)ですし、教育することは不可能ではありません。情緒的な反核平和教育よりも、核物理学の極初歩を教え、制御不能になったウランの塊がどういう挙動をするかを教える方が、よほど必要なことと思います。その上で、実際の原子力発電ではどういう制御がなされているかを知ることが、原子力を理解するには絶対必要なことです。
しかし、事件後もなお、原子力そのものについてのきちんとした教育ができる小学校の先生はほとんど居ないように見受けられます。こんなところにも、先進国中最低クラスと言われる自然科学の理解度が影響しているような気がします。