再び皇統の継承について

皇統の継承が如何になされるべきかと言う点において、男系(父系)による継承を堅持すべきと言う論者と、女系(母系)による継承を容認する論者の間で対立が生じている。そんな中、先にも書いたように、自分自身どう考えてよいか分からない面もあり、様々な方の意見を拝読させていただいた。皆さん、迷うことなく自説をずばっと提示なさるのにまず驚いた。次に、男系(父系)維持派の方が余りにも血統上の万世一系の事実性にこだわりすぎているのにも驚いた。そして、皇室が日本人の血統を代表していることに疑いをさしはさむ人もほとんど居ないようである。

しかし、血統と言う面では現在の皇室は百済、新羅、任那といった半島系の王朝との関係が意外と深い。2001年12月に天皇陛下が「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。」と発言なされて物議を醸したのは記憶に新しい。この点で、必ずしも皇室が日本人の血統を代表する存在かどうか、何とも言い難いものを感じる。それでも、日本民族(大和民族といった方が良いか?)の大部分は自らの先祖を皇統上の誰かに擬し、皇室を日本民族の総本家のように扱ってきた。

一方、血統の連続性についてはもっと問題がある。武烈天皇と継体天皇の間の断絶は有力な学説となっており、天武天皇と天智天皇の異父兄弟説など、他にも疑義が提出されている箇所は多いといわれる。

しかし、そのような問題があることを承知しながらも、「万世一系」の伝承を作り上げ、クーデターや革命で王朝を倒すのではなく、それを継承し続けたのが皇室の歴史であった。この意味で、継体天皇という諡号は実に含蓄深いものである。このようにして、皇室は時代の要請に合わせて変容しながら長い時を刻んできたのである。

今年は神武天皇即位紀元2665年であるが、その時間が歴史的事実かどうか、万世一系が遺伝学的事実かどうかが問題なのではなく、これまで紡がれてきた物語が継承されてきたこと、言い換えれば「魂の継承」が重要なのであり、それ故に神道の祭祀者として権威を持ち、その権威は崇敬されてきた一方で、時の政権の統治行為に利用されてきたのが皇室の歴史だったのである。

以上のような考えで、「伝統を尊重して行ける所までは男系で継承しましょう。」で済めば話は簡単である。出来るものならそうありたいものだ。しかし、現在の天皇陛下は日本国憲法の定めるところにより、「国民統合の象徴」となっている。ここで注意すべきは、日本民族ではなく、日本国民の統合の象徴になっていることである。討伐された者たちの子孫、後世日本の版図に含まれるようになった民族、現在の皇統から外れてしまった南朝などの子孫、左翼の共和主義者など、皇室と距離を置いているであろう者たちをも納得させるだけの権威と人格と識見を併せ持つことが要求されている。そうでなければ国家元首として機能しなくなってしまうからである。

皇位継承のあり方も国民主権の原則の下、国会で議決される公法である皇室典範により決められるようになってしまっている。皇室の私有財産も禁止され、すべてが国費でまかなわれるため、国民がその存在を許さなければ皇室そのものが存在できないものになってしまった。ある共産党員がこのような皇室のあり方を究極の「ブルジョア君主制」と述べたが、まさに立憲君主制の中でも最も厳しい形になってしまっている。そのため、皇位継承問題も、伝統を重視した考え方と、国民が納得できない制度は存在できないという二つの側面から考える必要が出て来ている。

具体的には、従来の皇位継承の原理を貫くために旧宮家を復活する、側室制度を再導入する、多少年齢が離れていても5世孫以内の別の男子皇族と内親王殿下に結婚していただくといった方策を講じるのと、将来の女系天皇の可能性を受け入れるのと、どちらが国民の統合の象徴にふさわしいか、どちらが精神的価値の継承にふさわしいのかという問題になってしまう。

前者の諸方策は、近代の市民的価値観とは真っ向から対立する考え方であり、市民革命こそ経ていないものの市民的価値観が根付いてしまった今の日本では、かえって皇室に対する尊敬を集められなくなってしまい、その権威を失墜させてしまう危険を冒すことになる。天皇陛下の国家元首としての機能、そして日本国民の統合の象徴と言う機能が十分果たせなくなってしまうのでは、という点を危惧する。それでは元も子もなくなってしまう。

しかし、今のままでは明らかに先細りなのもまた確かであり、近い将来皇位継承者が誰もいなくなってしまう可能性があるのも事実である。その際、女系による皇位継承の可能性を受け入れるのであれば、今のうちに腹を括っておく必要がある。神道の祭祀者として、あるいは日本的な価値の体現者として不都合が出ないような理論武装も必要になるし、それは不可能ではないと思う。

最低限世襲の原則が守られ(つまり共和制の否定)、敬意を集めるに足る人物によって皇位が継承され続け、精神的な価値の核心部分が継承され続けるのなら、皇位継承がどんな形に変わっても、例えば直系双系主義に変わっても、困難を乗り越えていけるのではと考える。

いざ男系が途絶えそうになった時に、無理に国民の支持が得られない人物を持ってきて反発を食らったり、王朝交代するくらいなら皇室を廃止してしまえという声に押されて共和制への移行を招くよりは、将来女系による継承が避けられなくなった時のために、今から女系容認を前提に備えを固める方が良いと思う。

前にも少し述べたような気がするが、古代には神話も必要に応じて書き換えられてきた。太陽神であり皇祖神でもある天照大神も、かつてはアマテルと言う男神だったという説がある。伊勢神宮に神妻としての斎宮が必要だった理由もそれで説明できる。ちなみに、今のアマテラス像になったのは持統天皇の時期(推古天皇期と言う説もある。)だそうである。この説がもし本当であれば、主神の姿さえも時代の要請に合わせて変わっていることになる。皇位継承の原則も、時代により様々だった。男系による継承だけは変わらずに来たが、これとても未来永劫不変と言うわけには行かなくなる日が必ずやって来る。どんな王朝にも何れは行き詰まりがやってくる。

実は、それを一番意識しておられるのは、天皇・皇后両陛下と皇太子殿下のように思えてならない。有識者会議がこれほどの大それた結論を天皇・皇后両陛下と皇太子殿下の意向抜きに発議し得たとはどうしても思えない。何れ天皇陛下のお考えが示されることで問題は収束していくのではないだろうか。

※12月10日に一部を加筆訂正いたしました。