「SMAP『世界にひとつだけの花』批判」より

この曲に出てくる「『ナンバーワン』より『オンリーワン』」という言辞にずっと違和感を持っていた。学校の勉強で1位になるのはオリジナリティーが無くとも可能であるが、どんな仕事でもその道でオンリーワンになるには容易なことではない。ほとんどの人が実社会では取替えのきく部品にしかなり得ない現実に甘んじているわけで、とてもじゃないがこの曲は甘っちょろ過ぎて好きになれなかった。

その辺の違和感をなかなか人に説明できずにいたが、「SMAP『世界にひとつだけの花』批判」が比較的私の意見に近いので紹介したい。

だいたい競争しなくて、誰もがこの世で一番なんて言うのは欺瞞以外の何者でもない。それに、ぶっちゃけ、同じ土俵の上でナンバーワンを目指すより孤高のオンリーワンだと世間から認められるほうが、よっぽど大変である。そういうことが出来る人を人は天才というのだよ。

---自分にとって自分はこんなにも重要なのに、自分以外の他の者にとっての自分は、さしたる意味のない、いてもいなくても大して変わりのないものにすぎない---という矛盾。その差、矛盾を埋めるために人は闘い、オンリーワンだったりナンバーワンを目指したり、自分だけの神だったり愛だったりを探したり、相手を尊重したり、慈しみという心を持ったりするのである。これは、「自己の存在」という意味を賭けた闘争であり、そして、時にその争いは生命すらも取引の対象となりうる。これが不条理なこの世というものである。誰もがこの世に生きるために--自分が自分であるために、闘争の中、生きているのである。この部分を彼は全くわかっていないように思える。槇原、頭が寝ているとしか思えない。

これは何も槇原だけが持つ無残ではない。戦後、教育現場や、メディアを中心に日本人のメンタリティー全体にうっすらと漂った甘い「個性重視意識」の持つ無残そのものである。「個性重視」の教育だとか、少数意見や子供の意見もを尊重、みたいな甘い人権意識の上に成り立っている「個性万歳思想」の無残と同質である。

「SMAP『世界にひとつだけの花』批判」 より

この曲で作詞家はどうしてこんなに安易に自分にOKを出せたのか、学校の勉強では1位になれてもオリジナリティーの不足を自覚して研究職になるのをあきらめた挫折感をいまだに引きずっている自分にはとても理解できなかった。今だって「自分以外の他の者にとっての自分は、さしたる意味のない、いてもいなくても大して変わりのないものにすぎない」ということを自覚して苦しんでいるのが現実である。

余談

世間では人間は一人一人ユニークだという思想が幅を利かせているように見受けられるが、自分には星新一の「薄暗い星で」のロボットが語る「人間なんて誰も大差ないのにどうしてこうも私生活を知られるのが嫌なんだろう」という方が実感に近い。