実名のファーストネームがかえって匿名性あり?

オデッサ海岸通り: 名前を呼んで」というウェブページに、「ふらんす2008年4月号」(白水社)の72-73ページに収載されている連載「フランス人の名前」の第1回「新しい名前のレシピ」からの引用で、次のような一節があった(従って当日記は孫引きになる。当該雑誌が入手できないのでご容赦あれ)。

名前(ファースト・ネーム、イーミャ)は、従来その人を他者と異なる“個”として捉え、その子の個性を尊重する、親が子とそういう関係性を結ぶためのものではなく、一族の誰かの名を継承し、守っていくものだった。

決められた枠内(聖人の名前のリスト)から選ぶのだから、限られた名前を大勢が共有することになる。

よって個人の特定につながりにくい、匿名性の高さがファーストネームにはある、ということになるのです。

「オデッサ海岸通り: 名前を呼んで」より

確かに、聖人の名前から選ぶとなるとそんなにバリエーションは無い。これだと個人特定の機能は余り無いことになる。

「ロシア駐在日記」というブログの筆者であるタチアナさんが、2012年04月21日付けのエントリー「どうしてロシア人は同じ名前ばかりなのか?」で、

「タチアナ」という名前は私だけのものではないんです。どちらかと言えば、「私」と「ロシア人という民族」とのつながりを作ってくれるものの一つだと思います。だから、同じ名前のロシア人がすぐそばにいても、「当たり前」だとしか思わないんです。

ロシア駐在日記「どうしてロシア人は同じ名前ばかりなのか?」 より

「名前は私だけのものではない」という言葉が、伝統的な名前にこだわる理由の一端を示していると思う。DQNネームをつけて周囲に困惑をもたらしているどこかの国の親に聞かせてあげたいくらいだ。

しかし、フランス人(ロシア人も)にとって、ファーストネームの方が匿名的、というのは盲点だった。