憲法の定める基本的人権は天賦人権説に基づくべきだと考える理由

日本国憲法の原則の一部をなすとされる天賦人権説が左翼的でけしからんとする向きが保守の人たちにはかなりいるようだ。これと対局をなす考え方に、人権は法を順守することの対価として与えられるもので、憲法といえどもその例外ではないとする考え方がある。

しかし、憲法は国の基本法であり、国家と国民の契約であると考えると、国民個人個人が国家に対する契約を遵守すると言う意味で憲法を守ることは出来るが、刑法や民法、公職選挙法などを守るのと同じ態様で憲法を守るのは不可能だと思う。また、一般の法律を破ると場合によっては逮捕や罰金、懲役や禁固によって人権が制約されるが、憲法を破るのは立法府であったり行政府であったりすることが想定されているのだから、法律を破棄させたり当該団体を解散させるなどすることができたとしても、構成員個人の人権をそれによって掣肘出来ると考えるのは論理的におかしいと思う。

具体例を挙げよう。左翼が自衛隊を憲法違反だと言い立てた時代があった。その頃彼らは、「自衛隊は憲法を犯したのだから、法律違反の罰として個人としての自衛官の人権も剥奪すべきだ。だから住民登録を拒否した那覇市や立川市は正しい。」と叫んでいた。

しかし、仮に自衛隊が憲法違反だと最高裁判所が認めても、違憲立法審査権によって無効になるのは自衛隊法であり、自衛隊が存在の根拠を失って解散させられる可能性はあっても、個人としての自衛官の基本的人権がそれによって制限されるのはおかしい。それに、憲法の性格からいって、憲法違反によって基本的人権が剥奪できると考えるのは全体主義そのものであろう。なにより、天賦人権説に反する。

左翼的全体主義を許さないという意味でも、自衛官のことを考えても、憲法に定める基本的人権は天賦人権説に基づくものでなければならない。これが反自衛隊闘争の渦中に育って、自己存在を防衛するために得た信念である。従って、自民党の防衛政策や安保政策には賛成するが、憲法草案の片山さつき氏流の解釈だけは止めて欲しいと願う次第である。

追記

ちなみに、自衛官に対する人権侵害は過去のものになったと思いたいところであるが、現在でも名古屋大学のように明文規定(名古屋大学平和憲章)で自衛官を含む現役の軍属の入学を禁止しているところがある。大学自治の原則が自衛官の大学教育を受ける権利に優越するとは到底思えないのだが、いかがなものであろうか。