新元号「令和」の「令」について

平成31年4月1日、5月1日から使用される新しい元号が「令和」であることが発表された。私は即座に「令月」、「令嬢」、「令夫人」、ちょっと特殊であるが四柱推命で使われる「月令を得る」というような言葉を連想し、凛とした語感を持つ「令和」に対し、「平成」よりは違和感を持たなかった(何しろ、平成は平らかに成すと読むことが出来て、何処かの国がイチャモン付けそうだった)。そして、「令和」をなかなかよく出来た元号だと思った。

世間の反応は予想通り賛否両論だった。元号を使うこと自体を非難する人も居たが、批判の多くは「令」の文字が「命令」の「令」であることを理由にしているようである。一方、是とする意見の多くが出典である万葉集で「令月」の「令」として使われており、命令の令ではないし意味が良い、というのが理由のようだ。

しかし、令という字は会意文字で、「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の象形から、人がひざまずいて神意を聞く事を意味するとのことである。そこから「命ずる」、「いいつける」、「みことのり(天皇の命令)」、「君主(国を治める人)の命令」、「のり(法律、規範、おきて)」という意味が派生した一方、「よい」、「立派な」、「優れた」、「他人の親族に対する敬称」という意味も派生してきたという。共通項としては、神意は良いものであり畏まって受け止めるべきもの、という前提があるように思う。

私はこれを是とする。なぜなら、元号と天皇の存在、神道の神と祭祀者としての天皇は不可分であり、神意を跪いて受け止めるという令という文字の原義も是とするからである。神道的な神を日常身近に感じる人は多くはないだろうが、時にはそういう存在を意識することは良いことだと思う。そういう意識で令という文字を選んだとすれば、「令和」の発案者は凄いと思う。

一方、跪いて神意を受け止める姿を原義とする文字を使うことを否とする意見もあってしかるべきだと思うが、神ではなく人が主体であるべきという観点からの反対をあまり見かけないのは何故だろうか。私が探索した範囲が狭かったからなのだろうか。それとも、そういう思想の人は元号それ自体に反対なのだろうか。

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