皇位継承問題に関する議論があちこちでヒートアップし、国論を二分しかねない雰囲気さえ醸し出すに至っていたが、秋篠宮妃殿下のご懐妊で上手い具合に水入りとなったようである。私としてはどんな結論が出ようと、この問題が政争の具にされるのだけは不味いと思っていたので、まずは一安心したところである。
しかし、男系維持派、直系双系主義者の何れの議論を見ても聞いても不思議に思うことが一つある。現在の天皇陛下は、日本国そのもののために在るのであって、その日本国民には「まつろはぬ者たち」の子孫も相当数含まれると言う視点が落ちているような気がするのである。
大和朝廷自体が古代の征服王朝であるわけで、大和朝廷以外の古代王朝に服していたものたちの子孫がいる。また、現在の皇室には帰化人の血が相当入っている*1ので、そのことをもって自分たちと皇室とは血統が別だと思うものもいるだろう。そんなに古いことを持ち出さずとも、南朝そのものの末裔、あるいは南朝に服していたものの子孫を自認する者、南朝正統論者も少なからず存在する。それに、琉球民族やアイヌ人も日本国民であることを忘れてはいないだろうか。それに加えて、思想的な理由で天皇制に反感を持っている共和主義者や左翼主義者が相当数存在する。
そういう人たちが見ても、日本国民の統合の象徴にふさわしい皇室で無ければならないし、そうであることを望むのは高望みであろうか。そうではないと思う。反天皇、反北朝、……、などの理由で潜在的に今の皇室に反感を持つ者があれだけ居ても、昭和天皇が示された姿に敬服したからこそ、潜在的反体制派にも皇室の存在が認められてきたのではないだろうか。
現実に現在の皇室は「日本国民の統合の象徴」として機能しているし、政治権力とは完全に分離された形で国家元首として、あるいは祭祀者としての権威を保っていらっしゃるのは言うまでもないことです。政治的な権力の全くない国家元首の役目を(基本的人権を犠牲にしてまで)天皇陛下に引き受けていただいていることで、共和制の独裁国家と同じような罠に日本が陥らないで済んでいるのであり、それだけでも日本国民は政治的安定を享受しているのだと思う。
しかし、どんな世の中でも反体制的な立場を取るものは存在する。しかし、そうした者達から見ても立派にやって来たのが昭和の皇室だったのだと評価できる。その昭和を引き継いだ平成の御代はまだまだ続くであろうが、平成以後の「日本国民の統合の象徴」としての地位に瑕疵をもたらすような混乱だけはあってはならない。
その意味で、結局は一時撤回されたとはいえ、小泉内閣がなぜあれだけ直系双系主義に基づく皇室典範の改正を急いだのかが非常に気になる。単なる女系容認であれば、今上陛下-皇太子殿下-秋篠宮殿下と皇位継承が来た次の代でも間に合うわけで、その場合は男系優先>行き詰ったら女系やむなし、というルールで支障は無かったはずである。それを敢えて直系双系主義に固執したからには、秋篠宮殿下およびその子孫には皇位継承させない、という政治的意思があったものと考えざるを得ない。何か秋篠宮殿下にまつわる問題があるのであろうか。菊のカーテンの向こう側を詮索しても意味はないし、そういうことは好ましくないが、非常に気になる。しかし、この問題については外野が騒げば騒ぐほど逆効果なので、これ以上詮索はしない。
元に戻って皇位継承問題をどう考えるかであるが、秋篠宮殿下の第三子がもし男子であっても、男系による継承原理の元では先細りの危機は変わりない。やはり何らかの方策は考えておく必要がある。男系維持派の唱える万世一系の伝統はフィクションであることは学会の多数説であるが、それでも歴代の王朝が王朝交代と言う事態に際して革命(易姓革命)ではなく神話の継承を選び、伝説を紡ぎ続けたことには価値があるしそれが歴史の重みである、と言うのが最近の私の考え方なので、現状では父系は何はともあれ繋がっていれば良し、せめて母系で一番近いところ、ということで、現状では東久邇家をはじめとする数家の皇族復帰は考えて良いと考えている。三笠宮家などが旧宮家より養子を取ったり、内親王殿下に特定の宮家の男子との婚姻を強制するのに比べれば、旧皇族の復帰の方が問題は少ないと思う。
*1 帰化人の血:桓武天皇の母君のことを今上陛下が取り上げておられたのは記憶に新しい。