「皇室典範に関する有識者会議」が女系(母系)天皇容認を打ち出したことについて、強い抗議の意志を表明なさる方が多いようである。「女系天皇が誕生した時点で皇統は断絶し、別の王朝となってしまう。」、「神武天皇即位以来皇統が男系(父系)によって継承されてきた伝統を無視するものである。」といった非難が飛んでいる。しかし、どうもこれらの言辞には違和感を感じてしまう。その理由を考えてみた。
まず第一に、「万世一系」自体事実に反しており、皇統の断絶はすでに起こっていたのではないか? と言う疑問が湧いてくる。第25代武烈天皇と第26代継体天皇のところで皇統は断絶しており、これ以前はユダヤ系、以後(現在に至る)は朝鮮半島系と言う学説が海外にあるが、「万世一系」論者はこのような学説に納得できる反論を示していないように思う。それ以後も、外国の王朝なら新しい王朝になるのではと思われるくらい特別に遠い傍系(7親等以上)による皇位継承が何回も行われている。前述の武烈天皇から継体天皇への継承も含めると、
- 武烈天皇→継体天皇
- 称徳天皇→光仁天皇
- 称光天皇→後花園天皇
- 後桃園天皇→光格天皇
の4例に、南北朝の合一による
- 後亀山天皇→後小松天皇
の例を合わせて、少なくとも5例を数える。特に、後小松天皇以降、南朝の系統に皇位が戻されることは無かった*1ため、最後の例は結果的にクーデターによる別王朝の誕生になってしまったとしか思えない。
次に、男系による皇位継承を安定的に行うには、皇位断絶に備えて傍系の血統を多く用意しなければならないという問題に対する解答が不十分に思われる。武烈天皇から継体天皇への継承の先例から、5世孫が皇位継承のタイムリミットとすると、単に永世の宮家(親王家)を複数用意しておくのみでは足りず、時に応じて新設の宮家(当然男系の)を用意しなくてはならない。後桃園天皇から光格天皇への継承では、新井白石の慧眼によって閑院宮家が出来ていたため事なきを得たが、現在ではたとえ旧宮家を全部復活させたところで男系では20代以上離れてしまう。旧宮家は昭和天皇と血縁があるから良い、と言う意見もあるが、それでは女系も認めることになって自己矛盾を起こしてしまう。この問題を逃れるには、どうしても側室の存在を認めて傍系男子を増やすしかなくなってしまう。
さらに、男系の女性天皇が即位した場合、もし女性天皇の子に皇位を継承させようとした場合、男系による皇位継承を続けようとすると、夫も5世孫の制限に引っかからないような血縁の近い皇族である必要が出てくるが、飛鳥時代のような近親婚が現代に可能なのであろうか。
蛇足ながら追加すると、Y染色体の継承を云々する向きがあるが、遺伝子の情報量なら常染色体やX染色体の方がはるかに多い。ミトコンドリアのように母系で伝わるものもあり、遺伝子の継承をもって男系相続が必須とも思えない。
以上、この問題については騒ぎすぎのような気がする。余り「万世一系」とか「神武以来の伝統」とか言い過ぎると、「皇室は所詮征服王朝じゃないか」などと逆の反応も出てきて好ましくないように思う。この点、民族主義者と政府の対立に発展してしまう兆しが出ているのは残念なことである。
結局、自分自身の考えとしては、(女系による皇位継承の場合は神道の祭祀上問題がないという理論武装が出来るのであれば、という制約はあるが)男系による皇位継承を堅持しようと、女系による皇位継承を容認しようと、どちらでも良いのではないかと突き放した見方をしている。その意味で、どうしても側室を認めずに直系および3親等以内の傍系による皇位継承が必要なら、今回の有識者会議の結論は仕方がないように思う。本当の敵は少子晩婚化なのだ。
それにしても、皇室の問題は本当に分かりにくい。昔のように皇統譜を暗誦させられた時代なら、最低限の共通基盤があるからまだましだが、現代のわが国の状況で国民的議論など、本当に可能とは思えない。
また、日本では歴史にヴェールに包まれた部分が多いため、皇室の出自はおろか、自分自身の出自が(血統的にも民族的にも)皇室とどう繋がっているのか(あるいはいないのか)さえ良く分からない人が多い。そのため、皇室に対してどういうスタンスを取るべきか分からなくなってしまっている人が多いのではないか。皇室を自分(たち民族)の先祖として崇めるにせよ、征服王朝と見做して距離をとるにせよ、皇室それ自身の歴史と自分自身(および自分の属する民族)の出自がはっきりしないと態度の取りようがない。しかし、この分野の真の専門家はアメリカに居るのでは? というくらい、日本ではこの手の話題がタブーになってしまっているのが実情である。
追記(12/3/2005)
拙い記事であるにもかかわらず、トラックバックを2件頂きました。
mssasanさんの「さぁ みんなで読んでみよう」の11月30日付のエントリー「皇位継承-2」では、
皇統には、以前にも書いたように、我々の血統などとは違って、遺伝子などでは説明しきれない、崇高な何かがあるはずです。
さぁ みんなで読んでみよう「皇位継承-2」 より
とありますが、先人もそう感じたのでしょう。王朝交代になってもおかしくない状況でも前王朝を継承する事を選んだ、その結果として皇統譜上は「万世一系」になっているわけです。皇室が過去の歴史で姓を持たないことを選んだのとあわせて、易姓革命となることを避けた先人の知恵だと思います。
大切なのは革命やクーデターで新王朝を建てることよりも皇統を継承することを選ばせた皇室の権威、別の言い方をすれば精神的価値なのでしょう。皇室が古代の征服王朝であったとしても、それ以上の価値を皆が認めるからこそ(血統の継承としてはどうあれ)皇統の継承がなされてきたのでしょう。
その意味で、最近「男系による万世一系」論者の拠りどころになっているY染色体の継承ですが、これを余り強調しすぎると、突然変異の可能性や異父兄弟の即位の事実が明らかになった時に困ってしまいます。天武天皇と天智天皇が異父兄弟、との説がありますが、例えそれが事実であっても損なわれないものを立論の根拠にすべきです。
さらに、mssasanさんは12月1日付のエントリー「皇位継承-3」において、
とにかく、皇室のことは皇室で決められるという「あたりまえ」の実現を願っております。
さぁ みんなで読んでみよう「皇位継承-3」 より
と述べておられますが、本来は皇室の私法であった皇室典範が日本国憲法第2条により、国会が議決する法律になってしまった時点でそれが不可能になってしまっています。立法に意見でも言おうものなら、第4条1項違反を問われて混乱を起こしてしまうでしょう。例の有識者会議の中には、「皇族の意見は聞かないで良いのか?」との質問に、「それをやったら憲法違反だ。」と答えた人がいますが、おそらく日本国憲法の第2条と第4条1項を念頭に置いたものと思います。
日本が立憲君主国であり、日本国憲法が天皇の権能を厳しく制限している以上、現状で今上陛下や皇太子殿下の意見を反映させようと思えば、あくまで非公式かつ秘密裏に行わなければならないと思います。
三条允さんの「外交のファンタジスタ」の11月30日付けのエントリー「皇統はどう議論されるべきか」では、
国民統合の象徴である天皇の問題だから国民を巻き込んでの議論を、という意見はもっともらしいが、それは国民の大半が天皇制に対して深い造詣を持っているときにのみ有効なのである。
外交のファンタジスタ「皇統はどう議論されるべきか」 より
その議論は皇室関係者やあるいは伊勢神宮をはじめとする格の高い神社の宮司によってなされるのが正常であり、門外漢が参加する道理はない。
との指摘がなされています。
前者については全くその通りで、おそらく国民のほとんど(私も含めて)は議論の前提となるものを十分に持ち合わせていません。若い世代ともなれば、皇統譜すら見たことがない人も多いでしょう。まして、神道における祭祀について、女系(母系)の天皇が出現した場合にこれを執り行えるのかどうか、と聞かれても困ってしまう人がほとんどでしょう。
後者についても、本来はそうあるべきでしょう。しかし、ここで立ちはだかるのが日本国憲法第2条により皇室典範が国会で議決される法律であることから必然的に国会議員が関与すること、さらに日本国憲法第20条で政教分離の原則が定められていて、神道の祭祀上の問題を国会の場で議論することさえ憲法違反だと言われかねないことです。
今の憲法は国事を阻害している要因もあることはいずれ皆が気付かなければならないことである。
外交のファンタジスタ「皇統はどう議論されるべきか」 より
おそらくほとんどの人は気が付いているのですが、誰もそれを言い出さないのでしょう。
本来の信教の自由とは、信教の如何によって弾圧や妨害や差別を受けない自由と、如何なる宗教・宗派であっても(破壊活動を行わない限り)宗教団体を正常に運営する自由であって、国家運営から宗教的なものを一切排除しろと言う意味ではないはずです。文字通りに無宗教な国家運営をされたら、精神的なものの価値を一切認めない恐ろしい国家となってしまい、かえって信仰の自由を犯すことになってしまわないでしょうか。ソビエト連邦や中華人民共和国の例を引くまでも無いでしょう。
と言うわけで、トラックバック先のサイトの記載は十分参考になりました。感想を記しましたことをお知らせいたしますために、こちらからもトラックバックをお送りいたします。ありがとうございました。
*1 明徳の和約が破棄され、以後の皇統は持明院統(北朝系)に統一された。