白鳳女子短期大学学長の山折哲雄氏が大阪国際宗教同志会(会長津江孝夫今宮戎神社宮司)の平成12年度総会で講演を行った際の講演内容がhttp://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen9.htmに掲載されているが、その中で同氏は次のような話をされていた。
昭和57年、毎日新聞に、ある若い母親からの投書がございました。自分の子供に子守歌を聴かせたところ、子供がむずかり始めた。おかしいと思って再びゆっくりと子守歌を聞かせたところ、拒否反応を示して布団の中に潜り込んだ。わけが解らないので、どうしたらいいかという投書を毎日新聞に出したわけです。
新聞のほうでは、なに気なしにそれを投書欄に載せたわけですが、そうすると、翌日から同じようなことを訴える投書が母親たちから殺到したというのです。
(中略)
翌年になりまして、3月のことだったと思いますが、藤原新也さんという作家の方が、同じく毎日新聞にひとつの推論を投稿をされておりました。驚くべき推論でございました。藤原さんによりますと、おそらく、朝から晩まで民放放送局で流しておりますコマーシャル・ソングに原因があるのではないかというのです。当時の代表的民放各局が流しておりましたコマーシャル・ソングを全部集めて、分析をした。その結果、それらのコマーシャル・ソングの中に短調のメロディーがひとつもなかった。ほとんどが四音階の快活なリズムに基づいていました。
最近の子供たちはほとんど、悲哀のメロディー、哀調のメロディーを聞くことなしに育っています。朝から晩まで、生まれてから成長するまで。それで藤原さんはこう言われるわけです。「現代は短調排除の時代である」(以下略)
山折哲雄氏 大阪国際宗教同志会平成12年度総会講演より
しかし、この話は俄かには信じられなかった。自分が育った時代はすでにTVが幅を利かせていたが、CMソングはともかく、「水戸黄門」のような時代劇の主題歌も短調だった。TV時代だからと言って身の回りに短調が存在しないと言うことなどあり得なかった。初めて親にねだって買ってもらったLPだってハ短調の曲だったし。
実際のところ、私自身は古い時代の日本人の例に漏れず短調大好き人間だと思う。ハ短調、嬰ハ短調、ニ短調、……、ロ短調に至るまで、12の短調すべてに好きな曲を挙げることが出来るのでは、と思う*1くらいである。
そのように自分のことを省みると、子守唄が拒絶される理由を乳児が短調に接していないことに求めるのは余り説得力がないような気がする。もし最近の赤ん坊が子守唄を拒絶する理由が他にあるとすれば、それは何なのであろうか。そもそも原因は母親と乳児のどちら側にあるのだろうか。また、問題をもたらしているのは音律なのか、和声なのか、旋法なのか、それとも音楽とは関係ない別の問題なのか。考える手掛かりがないのでよく分からない。
*1 ただ、実際やってみたら嬰へ短調など、好きな曲を何も思いつかない調がいくつも出てきた。むやみに大言壮語するものではない。