櫻の花を素直に好きだと言えない理由

寒さの後に一気に暖かくなりましたこのところの天候のおかげで、櫻*1の花も一気に満開となりました。しかし、櫻の花に何よりも思い入れのある方には申し訳ないのですが、私自身はこの花を素直に好きだと言えません。 まず、散り際が良すぎるのです。あっさり花吹雪を作って散っていくのが諦めが良すぎる行為のように感じてしまいます。風雨に叩かれても耐えて鮮やかな花をつけ続ける木の方が、叩かれても踏まれても立ち上がるための心の支えになるだろうに、こんなにもあっさり散る花が日本精神の精華と称えられたのでは、何か失敗をしたら、あるいは戦に負けたらさっさと切腹して死んでしまえ、と言われているようで嫌なのです。

また、色彩的にもパステルカラーで淡すぎるのが気に入りません。冬に耐えた後に折角春になったのですから、もっと自己主張をしても良さそうなものです。また、一本では存在感が足りずに、数本まとまって初めて目を引く(しかもこのときの存在感はまさに圧巻である)と言うのも集団主義の象徴のようで素直に喜べません。これが桃花だと、一本植わっているだけで十分存在感があるのに。

さらに、死の影が妙に似合うのもどんなものでしょう。夜の櫻花には妖気すら感じてしまいます。「紅い櫻の下には死体が埋まっていて、その血の色に染まった真っ赤な櫻……。」という類いの話もよくある話です。

さらに、特殊攻撃機櫻花(コードネームが”baka-bomb”)に至っては情けなくて涙が出てしまいます。世界史に残る史上最低の作戦であり、史上最低の行為である特攻のために作られた機体に、こともあろうにこの花の名前がつけられてしまいました。

良くも悪くも日本と日本人の象徴であり続け、さらにはその死生観をも象徴してきた花だけに、素直に好きだと言えないのがこの櫻花なのです。


*1 櫻を旧字体にしたのは意図的なものです。櫻という字の解字として、「嬰エイは『貝二つ+女』の会意文字で、貝印を並べて、首に巻く貝の首飾りをあらわし、とりまく意を含む。櫻は『木+音符嬰』で、花が木をとりまいて咲く木。」というものを見つけました(引用元:http://books.bitway.ne.jp/gakken/kanjigen/sample/sakura02.html)ことから、「花が木をとりまいて咲く木」という意味を生かすには旧字体のほうが適切と考えました。決して復古主義からそうしたわけではありません。